被災地から発信するものとして~翌日以降~

 11, 2013 08:30
前回の記事の続きです。
前回の記事はこちら→被災地から発信するものとして~3.11当日~



震災の翌日から、一番悩まされたのは食料とガソリンです。

まず先にやってきたのは食料不足。

我が家は当時、その日の食料はその日に買うスタイルだったので、家には食べ物がほとんどありませんでした。
震災の当日は、持っていたカロリーメイトやチョコなどのお菓子とジュースでしのげたのですが(お腹もほとんどすかなかった)、翌日以降、食べるものがありませんでした。
冷蔵庫にもわずかに食べ物が入っていたのですが、停電で冷蔵庫の中のものは全部だめになっていましたので。


翌日こそ、数枚残っていた食パンでなんとかしのいだものの、そろそろなにか食べ物を手に入れたいと思い、コンビニやお店がある周辺へと行ってみればなにか情報が得られるかもしれないと繰り出しました。
(もちろん、ガソリンがないのでどこに行くにも徒歩です)
そこで一番情報を得られたのが、やっぱり人との会話、口コミです。
携帯電話は充電がなくなり、無用の長物となっていましたので、どこかお店がやっていないかとか、充電できるところはないかとか、そういう情報はすれ違った人から聞いたり、すれ違った人が持っているお店の袋をみて、あそこのお店がやっているんだ!という情報が得られたのです。


ちなみに近所に避難所となっている中学校の体育館があったので、寒さのあまり行ってみたのですが、近隣の住民や生徒の保護者とみられる方々が主にいらっしゃっているようでした。
夜になるとやっぱり寒さがこたえるようで、夜だけ石油ストーブのある体育館へ来ている、と話されている方もいました。

ただ、私たちのような、賃貸に住んでいて町内会とか地域と密接なかかわりがない単身者等は、体育館に入るとどこのよそ者が来たんだとばかりに怪しいものを見る目で見られたため、いづらくてそそくさと体育館を後にしてしまいました。
東北であるゆえんでしょうかね。こういうところは。
ちなみに配給の食べ物も、この避難所に寝泊まりする人しかもらえないということでした。



余談ですが、避難所に行けない私たちは、夜は家でいつでも逃げられるような恰好で、手袋・帽子までして寝ていました。ラジオを聞きながら寝ていたのですが、ラジオのアナウンサーが泣きながら現状を伝えていたのが今でも忘れられません。



すみません、話をもどします。
通りすがりの方から、携帯電話の充電ができる場所を教えてもらい、充電ができた後は行動範囲が広がりました。
何故だと思いますか。

ツイッターです。

ツイッターのおかげで、今○○のお店が開いているよ!というような情報を得て、駆けつけることができるようになったからです。
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通りがかりのレンタルビデオ店を覗く。



それから連日、開いているお店まで往復4キロ歩いて買い出しに行き、3時間は並んで食べ物を手に入れていました。しかも買えるのは1人3品まで、と限定されているので、慎重に選ばないと空腹は満たされません。
さらに、お店の中は天井が落ちたり品物が散乱しているため、駐車場に広げられたワゴンから、店員に言って取ってもらうシステムです。ゆっくり選ぶなんてできないです。
しかも最悪なことに、ラジオの電池が無くなりかけていたので、電池を1品買うと、残りは食べ物2品しか選べなくて、必然的に1食は抜くことになります。更に水などの飲み物を買えば、食べるものは1品のみに、なんてこともありました。
お店をはしごすればいいのでは、と思う方もいると思いますが、早朝から並んで1店目で買い物を終えた後、他の店へ行けば品切れで閉店しています。
どこもかしこも長蛇の列なのですから。


しかし、日を追うごとに、再開するお店が増えてきて、少しずつではありますが、おにぎりだったり、だんごだったりと手に入るようになってきました。
だいたいそういうお店は個人商店だったり、規模の小さなお店だったりして、こういう時大規模な流通でやっているコンビニやスーパーはなかなかいろんな意味で難しいのだということを目の当たりにしました。


ちなみに電気が復活したのは意外に早くて3/14でした。
探す
電気が復活してすぐ始めたことは、沿岸部の親戚探しです。おかげさまで家族・親戚・友人全員無事でした。

もともとガスと水道がいきていただけに、すぐお風呂に入ることができました。
しかし都市ガスの地域は、ガスの再開栓まで1か月以上かかったため、職場の同僚の中には、ずっとお風呂に入れない人たちがたくさんいました。髪が洗えないので、女性は髪をまとめればなんとかごまかせていましたが、男性はどうしていたのか・・・??


また、地域のバス会社が、仙台駅方面まで臨時バスを出すというので、それに乗って職場へ行ってみたのが震災から1週間後です。(出勤は任意になっていました)
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職場で融通してもらった日用品やら。トイレットペーパーやティッシュはほとんどが買えなかったので助かりました。


仙台駅の近くには朝市があるのですが、そこに多くの人が詰めかけていて、長蛇の列でした。
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朝市での戦利品。このほか米も手に入れました。

ちなみに、この時期の物価は非常に高かったです。
あいまいな記憶になっていますが、サラダ油1000mlが1,000円近く、単三電池が3本600円くらいだったような・・・。
電気が復旧していない間は、お店側はどうしても会計が暗算や電卓になるので、切りのいい金額に調整されていた部分もあります。でも切り下げじゃなくて、切り上げだったので、カップラーメン150円が200円とか、地味に高い。現金を持っていなかった方は厳しかったはず。
また、卵や牛乳、ヨーグルトなどの乳卵製品は5月ぐらいまで手に入りづらかったです。
私は超・甘党なので、こっくりしたものがどうしてもどうしても飲みたくて、10コで300円くらいもするコーヒーフレッシュ(しかも賞味期限ギリギリのものだった・・・つかまされた!)を、あの品不足の中見つけて買ったのは苦々しい思い出・・・。


ガソリン不足は震災後徐々に忍び寄ったという感じで、3月の末くらいにやっと入れることができたのですが、早朝から並んで入れられたのが午後だったということ。距離にして4キロほどは並んだみたいです。
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給油渋滞。
タンクローリーがくればという条件付き開店だったので、開店するかどうかもわからずに数時間も並ぶのはけっこう勇気がいります。しかし、仙台は微妙に田舎な部分もあるので、郊外は車無しでは行動できないのです。
聞けば隣県の山形県に給油しに行った、という人もいました。



このようにして、徐々に、徐々に、仙台の内陸側は復活していきました。
地面の陥没やらひび割れ、建物の壁面のひびなどを除けば、仙台駅周辺は震災があったことすら忘れてしまいそうなほど急速に平穏を取り戻し、津波被害のあった沿岸部との復興の差が光と影のように、くっきりはっきりと差がついていったのは言うまでもありません。
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一番近いイオンの駐車場。


次回はこの経験を踏まえて、準備しておいた方がよかったもの、そしてもしバニラがいたら何が必要だったか、など、防災と備えや、その他もろもろについて書いていきたいと思います。





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